山本五十六神話

日曜雑感1-1

映画『聯合艦隊司令長官 山本五十六』の予告編が映画館でも流れているし、ネット上でも宣伝している。山本五十六は、私が子供の頃、人気のあった海軍軍人で、戦時中に戦死したこともあり、悲劇の英雄的人物として敬愛もされていた。なぜ山本長官が敬愛されていたかといえば、開戦には反対していたが、いざ戦争となると真珠湾攻撃をはじめとする初戦の戦勝をもたらし、アメリカに憎悪され、ソロモン諸島での前線視察中に、アメリカ軍機(P38)から待ち伏せ攻撃され、乗機(一式陸攻)とともに密林に散った悲劇の海軍大将だからである。

私は真相は知らないが、以下の点が、山本長官について、繰り返し強調されている。今回の映画化でも反復されているらしいこととは、山本五十六は1)アメリカ通である、2)それゆえアメリカの実力を知悉している山本は開戦に反対した、3)また、なにより反戦主義者の山本は、戦争回避に尽力したが、4)開戦やむなしとなったとき、奇襲作戦でアメリカの主力を叩き、早期講和に持ち込むことにした。こうしたことである。

それが真相かどうか知らないが、こうしたポイントは、矛盾の塊で、とても正気の沙汰とは思えない。神話としてもお粗末すぎるのではないか。嘘でもいいから、もっとまともな話を聞かせてほしい。実際、子供の頃から聞かされてきて、ようやく忘れかけたと思ったら、またかと、うんざりする。

そもそもアメリカ通であったら、アメリカを敵に回して勝ち目はないから開戦を避けようとするのは、当然だが、奇襲攻撃で早期決着を図るというのは、アメリカを知らない大ばか者であろう。映画『トラ、トラ、トラ』の最後で真珠湾攻撃成功に沸く日本軍の作戦司令部で、ひとり山村聡演ずる山本長官が深刻な顔をして「眠れる獅子を起こしたことになる」と語るのは、なにもアメリカ人観客向けのリップサービスだけではないだろう。アメリカは、奇襲攻撃を受けて意気消沈し、早期講和に応ずるなどというお伽噺を「アメリカ通の」山本五十六は考えていたとしたら、アメリカを全く知らない大ばか者である(もっとも世のアメリカ通は、昔も今も、大ばか者で、大ばか者だからこそアメリカ通だともいえる)。

9.11でアメリカはおとなしくなったのだろうか。むしろ狂暴化して世界を不幸なテロとの戦いに巻き込んだ。9.11でアメリカが思い起こしたのは、真珠湾奇襲攻撃だった。そしてその記憶は、オサマ・ビン・ラディンを不当に殺害するまで、永続した。敵の首謀者、忌まわしい指導者を叩けば戦いに勝てるという幻想。その幻想のもとを築いたのは山本五十六に対する待ち伏せ奇襲攻撃である。アメリカ通だったはずの山本は、アメリカにとってはオサマ・ビン・ラディンと同じ、ただの極悪非道の人間にすぎなかった*1

真珠湾を攻撃して敵海軍の主力部隊を叩き、早期講和に持ち込むということは、あまりに非現実的で、もしほんとうなら、山本自身、そんなお伽噺でよく自分自身を納得させられたと思う。もちろん周囲も納得してない。真珠湾奇襲作戦(ハワイ作戦)のことを海軍では「投機的」と反対したという。当然である。そんな作戦を考えるのは、山師的な目立ちたがり屋ぐらいだろう。また戦争が好きでたまらなくて、どうせやるなら派手にやりたいという戦争大好き人間くらいだろう。まともな軍人なら、そんな作戦は歯牙にもかけない。また聯合/連合艦隊とか聯合/連合艦隊長官といった、海軍のなかでもわけのわからないエリート集団のトップになることで、山本は、反対者を強引に封じ込め裸の王様となって机上の空論を展開した、その成果が真珠湾でありミッドウェイではなかったのか。

真相は知らない。しかし山本五十六神話から推測できるのは、たぶん、戦争は嫌いで反対したが、やむを得ず戦争をせねばならなくなった、そしていざ戦うとなったら潔くかっこよく戦ったという、そんな自慰的思想に、ひたろうとする思想操作だろうが、しかし同時に、その神話の論理的帰結として浮かび上がるのは、非現実的な空論に基づいて戦争を立案し投機的な作戦を楽しんだ好戦的山本五十六の姿である。戦死しなかったら、むしろ彼こそが、国民を未曾有の災禍に導いた悪辣な戦争犯罪人とみなされていたかもしれない。

あるいはこうも言える。真珠湾奇襲作戦(ハワイ作戦)は山本にとって、眠れる虎を叩き起こし、やがて敗北を余儀なくされる戦争を前にしての、派手な大博打であり、成功して後世に名を残すことになるが、どうせ負けることがわかっているので、あとは、ひたすら敗北を待つことしかしない、あるいは奇襲攻撃は、不可避の滅亡への道を早める契機となるがゆえに望ましいものと思われたのかもしれない。タナトス思考であろう。勝ち目のない戦争において、どう目立つか、どう敗北を受け入れるか。そうした方向の思考のなかで、多くの軍人が国民が死んでいったのであって、繰り返すが、山本神話から帰結する山本像は、悪辣な戦争好きのペシミストという戦争犯罪者である。

第二次世界大戦中のイギリスを舞台にした映画のなかで、日本が真珠湾を攻撃したという知らせを受けて、みんな大喜びする場面がある。これによってアメリカが参戦すれば、ヨーロッパにおける戦況が好転するだろうと予想されたからである。真珠湾奇襲攻撃を立案したのはアメリカである。アメリカがスパイを送り込んで、そうさせたということではない。アメリカ国内の世論を参戦に傾かせるための契機として日本による奇襲攻撃させるべく、日本を圧迫して追い込んだということであろう。山本の真珠湾奇襲攻撃は、まさにアメリカの望んだことをしてくれたのであり、ありがたいことに、日本の外務省の不手際かどうか知らないが、結果的に宣戦布告が奇襲の後になることで、卑劣な奇襲という印象が、ますます強くアメリカ人の中に植え付けられることになった。

山本五十六アメリカのスパイとは思わないが、結果的にやっていることはスパイと同じことである。ただし、それが真相だということではなく、いま現在のお粗末な山本五十六神話では、そういうことも言えてしまうぞということである。専門家から私は神話ではなく真相を聞きたいとほんとうに願っている――その時は新しい、ひょっとしたら魅力的な山本五十六像が現れるかもしれない。

またそうでなければ、山本五十六の犯罪性をしっかりみすえるべきであろう。

*1:もちろんこれはオサマ・ビン・ラディンを悪人とした場合であって、アラブの人々がオサマ・ビン・ラディンをどう考えているか定かでないのだが、アメリカと戦った英雄として記念館をつくったらどうかと、私は本気で提言したい。アメリカの宿敵として待ち伏せ攻撃されて戦死した山本五十六は日本では偉人として記念館まで作られていることをアラブの人たちに伝えたいと思う